光陽会のあゆみ 01 : 創立( 昭和27年(1952年)) 〜 昭和34年(1959年)
年 | 特記事項、展覧会、会員/委員推挙 |
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昭和34年 (1959年) |
・春季展 於・上野松坂屋本館7階画廊 2月10日〜15日
・第7回展 於・都美術館3階絵画室 6月17日〜30日 絵画46名、142点、染色14名、31点。 ・会員推挙 河辺昌久、高林秦、滝沢実、木林良孝、岩田直英、角田剛康、笹井敏雄、倉本七朗、守屋久通、小野寺英吾 |
昭和33年 (1958年) |
・春季展 於・上野松坂屋画廊 2月11日〜16日 絵画30点、染色2点。
・第6回展 於・都美術館3階絵画室 6月28日〜7月11日 絵画138点、染色17点、搬入総数240点。 ・会員推挙 野呂正夫、川島義一、鷲田新太、諸橋政範、池田英夫、梅地沢子、大西アヤ、古泉光子、徳増節子、山本弘子 |
昭和32年 (1957年) |
・染色部を設ける。
・春季展 於・上野松坂屋新館4階 3月1日〜9日 油彩、水彩、染色。 ・第5回展 於・都美術館(工芸室) 7月14日〜23日 60名、137点(絵画102点、彫刻2点、染色33点)。 ・会員推挙 本間勝太郎、高山幸夫、加賀英二 |
昭和31年 (1956年) |
・第4回展 於・上野東京都美術館(工芸室) 6月13日〜26日 35名110点。
・1〜4回展の会員推挙 島田良也、吉川俊久、原田繁男、大川美友、丸山妙子、若林清、岡野靖子、飯塚年男 ・春季展 於・上野松坂屋 8月28日〜9月2日 |
昭和30年 (1955年) |
・第2回展 於・上野松坂屋6階画廊 5月24日〜29日 ・第3回展 於・神田駿河台下文房堂3階画廊 8月16日〜20日 23名23点。 |
昭和29年 (1954年) |
・第1回展 於・上野松坂屋6階画廊 6月27日〜7月1日 21名44点。
・宣言を発表。 『宣言、我国の画壇は常に西洋の模倣に終始しているものが多い。然し既に今日はどこまでも日本人としての真の芸術を創造しなければならない段階に至っている。依って我々は各々自由な立場に於て真摯な態度で、民族性を活かした独自の芸術を創作することを目的として、今回新たな光陽会を結成し、ここに宣言する。』 |
創 立 昭和28年 (1953年) 2月11日 |
太平洋美術会代表であった多々羅義雄を代表に、総務・早川芳彦、井口勇、斎藤武、北嶋吾二平の4名、他に、間所一郎、丸山精一、森田賢、早川英煕、柴田康雄、吉川俊久、北原毅、太田宗平、島田良也、若林清、西本雅哉、原田繁男、石田道治、小林孝一、根本和子、大川美友、保田勲夫、顧問・椎野孝、等が参加した。
当時、会の性格として『他展に見る如き一派に偏し及び時流に迎合せる如き抽象派に偏することなく、各自が自由な芸術完成に挺身するものとす』とあるが、抽象派も大いに歓迎し、会の発展への一歩をふみ出した。 |
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